江川珈琲店の珈琲用語集

エカワ珈琲店の独断と偏見で用語選定して、独断と偏見で記述している珈琲用語集

 

太田南畝(おおたなんぽ)

太田南畝(おおたなんぽ)、通称『蜀山人(しょくさんじん)』は、食の世界では歴史上の有名人です。もちろん、コーヒーの世界でも蜀山人(しょくさんじん)は有名で、20世紀に刊行されたコーヒー関係書物で蜀山人(しょくさんじん)という名前をよく見たものです。

彼の残した「コーヒーは焦げくさくて味ふるに堪えず」という言葉は、よく知られています。

 

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太田南畝-Wikipediaより引用

太田南畝(おおたなんぽ)

太田南畝(おおたなんぽ)は、蜀山人(しょくさんじん)とも呼ばれています。本名は覃(ふかし)。通称は直次郎。江戸時代の中期と後期を代表する狂歌師・劇作家。御家人。幕府の官吏。1749年4月19日~1823年5月16日、75歳で亡くなっています。

食通で、料理についての造詣(ぞうけい)が深く、「会席料理仕様帳」という本を出版しています。

 

蜀山人(しょくさんじん) 

太田南畝(おおたなんぽ)は狂歌を読むのをやめていたのですが、1801年、大坂銅座に勤務していた頃、「蜀山人(しょくさんじん)」という号で狂歌を再び読み始め、太田南畝(おおたなんぽ)という名前よりも、蜀山人(しょくさんじん)という号のほうが有名になったようです。

 

日本で最初のコーヒー飲用体験記 

太田南畝(おおたなんぽ)/蜀山人(しょくさんじん)は、長崎奉行所で勤務していた1804年頃、コーヒーを飲んだ経験を自分の著作で以下のように書き残しています。

紅毛船にてカウヒイというものを勧む、豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるものなり、焦げくさくて味ふるに堪えず

これが、日本で最初のコーヒー飲用体験記だと伝えられています。

日本にコーヒーがもたらされたのは元禄時代で、長崎のオランダ商館を通じてだとされていますが、信頼に足る記録が残っていません。

 

コーヒー伝来と黒船

文化文政年間あたりから、蘭学者たちがコーヒーを飲んだ経験を書き残していて、太田南畝(おおたなんぽ)/蜀山人(しょくさんじん)の書き残しているコーヒー体験の記述が、日本で最初のコーヒー飲用体験記だと伝えられているわけです。

太田南畝(おおたなんぽ)/蜀山人(しょくさんじん)のコーヒー飲用体験記は、1804年に出版された瓊浦又綴(けいほゆうてつ)という随筆本に記述されているそうです。

ちなみに、日本へ本格的にコーヒーがもたらされたのは、日本が黒船によって太平の夢を破られた1854年以後のことで、本格的に輸入され始めたのが明治10年頃からだと言われています。

 

太田南畝/蜀山人の履歴

太田南畝/蜀山人ですが、1794年、幕府の人材登用試験である学問吟味で御目見得以下の首席で合格して、46歳~70歳まで幕府の官吏として働き、風俗史・経済史・書誌学などの貴重な文献を多数残していると、2001年12月に柴田書店から発行されている「コーヒーの事典/日本コーヒー文化学会編集」に記載されています。

辞世の歌は「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」と伝えられています。 

 

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